劇場翻訳者インタビュー
『ジョン・ウィック:パラベラム』翻訳者・松崎広幸氏が語る
――いちばん悩んだセリフは「yeah」のひと言
字幕翻訳者のための会員制動画コミュニティ「vShareR SUB」がお届けする劇場翻訳者インタビュー。今回は、「ジョン・ウィック」シリーズ3作品の字幕と吹替の翻訳を手がけた松崎広幸さんにお話を聞きました。どのように翻訳者になったのか? その翻訳センスはどうやって培われたのか? 『ジョン・ウィック:パラベラム』についてもたっぷりお話ししていただきました。
【プロフィール】
松崎広幸(まつざき・ひろゆき)
1963年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。主な担当作品は、『パシフィック・リム』(字幕・吹替)、『アベンジャーズ』、「デッドプール」シリーズ、「トランスフォーマー」シリーズ(以上、字幕)、「スパイダーマン」シリーズ、「メン・イン・ブラック」1~2(以上、吹替)など。
【目次】
Part.1 年間1000本超鑑賞のシネフィルが映像翻訳者になるまで
Part.2 映像翻訳という仕事について
Part.3 「ジョン・ウィック」シリーズの字幕・吹替を語る
Part.1 年間1000本超鑑賞のシネフィルが映像翻訳者になるまで
■映画学校の受験失敗を目標にフランスへ
――書籍『字幕翻訳者が選ぶオールタイム外国映画ベストテン』のなかで、松崎さんは「映画を作る者になりたかったのです」と書いています。
幼いときから映画が大好きだったんです。両親が映画好きで、映画館によく連れて行ってもらってたんですね。映画に関する最初の記憶は、東映の子ども向け忍者映画『大忍術映画ワタリ』です。『カムイ伝』などで有名な漫画家の白土三平さんの『ワタリ』が原作の実写映画で、馬が土手のうえを走っているショットや、土間で草履を履いているシーンをなんとなく覚えていて、大人になって観なおしたらそのシーンがばっちりあって。調べてみたら映画の封切りは2歳半のときで、驚きました。
生まれも育ちも東京で、そこらじゅうで映画を安く観られました。500円以下で2本立てとか。高校時代まではただの映画好きだったんですけど、大学に入ると「将来は映画の道に進みたい」と思うようになり、当時はまだビデオがないので8ミリ映画を撮ったり、アルバイトでロマンポルノを制作していた頃のにっかつ(現:日活)で助監督も経験しました。御茶ノ水のアテネ・フランセ文化センターで、字幕作りの手伝いをしたこともあります。1枚の字幕に収められるように原語のセリフを切って、番号を振って、セリフの尺に合わせた字数を計算する……、「ハコ切り」という作業ですね。
――大学の映画研究会は?
映画研究会には入りませんでした。なにをもってそう考えたのかわからないですけど、プロになる者は入ってはいけない、って。いま一緒に仕事をしている吹替の演出家の方など、大学の映画サークル出身の方も多いので、僕の考えは間違ってたわけですが(笑)。
あとはとにかく映画館に行きました。ひと月に100本近くの映画を観ていたので年間で1000本は超えていたと思います。洋画と邦画、どちらも観てましたね。楽しみで観るっていうよりも映画を観ることが勉強みたいな感じです。だから、映画の良し悪しみたいなのは自分のなかにはありましたが、おもしろいかどうかは基準にしていませんでした。観られる映画はすべて観るぐらいの勢いでした。
――映画中心の学生時代だったんですね。大学卒業後は?
フランスにIDHEC(※)という映画学校がありました。そこはテオ・アンゲロプロスが受験して落ちて、ヴィム・ヴェンダースが受験して落ちて……という、とにかく受験に失敗した人が世界的な映画監督になる学校だと聞いていたんです。正確にはアンゲロプロスは放校処分ですが。それで、自分もIDHECを落ちよう、と。
※ イデック:Institut des hautes études cinématographiques。高等映画学院。現在のLa Fémis。
大学を卒業したのは1986年で、当時は景気がとても良くて、大学を出てすぐに仕事に就かなくても就職先がある時代でした。それで、日本で半年ほど、さらに向こうに行って1年くらい暮らしながらフランス語を勉強して、次の年に受験して落ちて、華々しく帰国する計画でした。
ところがどうやら、IDHECは前年度の入試を最後に、新入生を取らないことになっていました。インターネットのない時代でしたから、フランスに着いてからようやく知りました。東京とは比べものにならないくらいフランスでは映画が上映されてましたから、「それじゃあ、1年間は映画を観て、日本に帰ろう」と決めました。
■帰国後、映画番組のディレクターに
――そこからどのように映画の世界へ?
父の知り合いにテレビ局で働いている人がいて、フランス生活が半年ほど過ぎた頃に通訳のアルバイトを頼まれました。1986年、シラク元大統領がまだフランス市長だったときです。大の相撲好きのシラクさんが日本の大相撲を招いてパリ公演を開催したんです。それを日本で放送するために、地元のことを知っている通訳者が必要になったようです。
シラク市長のインタビューや番組スタッフのコメントを通訳したりしました。番組スタッフに飲食店を紹介するときは、普通の通訳者は行きそうにない、学生あがりのちゃらんぽらんな自分がいつも行くところに連れて行ったりしました。
そういうのが逆に受けたのか、すごく評判がよかったみたいで、帰国するとテレビ局から「うちで働かないか」といくつかの番組から声をかけてもらいました。でも、「映画の仕事がしたいので」と、すべて断ったんです。そしたら、「じゃあ、これはどうだ?」って映画の番組を紹介されました。フジテレビ系列で1987年に始まった『ミッドナイトアートシアター』です。単館系映画館が盛り上がってきた時代で、フジテレビはシネスイッチ銀座に出資するなど、映画に力を入れてましたね。
――どのようなお仕事だったのですか?
『ミッドナイトアートシアター』は、映画を字幕でノーカット、途中にコマーシャルも挟まずに放映する番組で、民放初の試みでした。「この番組はテレビを知らない人間に任せたほうがいいだろう」という考えの方がテレビ局にいたようで、僕はいきなりディレクターをやらせてもらったんです。といっても、映画本編の前後に解説がつく番組構成で、毎回のゲスト解説者を選んだり、映画を説明するパートの原稿を書いたりもしていましたが、そんなに大変な仕事ではありませんでした。映画本編の字幕も完成していたものがあったので、僕が字幕を作ることもありませんでした。
その仕事を5年くらい続けていると、フジテレビの『二か国語』という番組から声をかけられました。映画の吹替台本を大胆に意訳し直して、ロビン・ウィリアムズやエディ・マーフィなどを担当している声優の江原正士さんがアテレコするバラエティ番組です。その放送台本を作る仕事で、これからお話しする翻訳の仕事と並行して、番組が終了する2002年まで10年ほど続けました。
そんなふうにフジテレビの仕事をしているうちに、『ゴールデン洋画劇場』の吹替翻訳を依頼されました。1992年か、1993年頃だったと思います。吹替翻訳を担当されていた方がご高齢になり、とりあえずの代打を探していたようです。いまはテレビで放映するときも劇場版の吹替をそのまま使ったりしますが、当時は新しい翻訳をテレビ局が毎週作っていました。劇場版は字幕のみで、ほとんど吹替のない時代でしたからね。
■『メン・イン・ブラック』強化合宿
――ついに映像翻訳のお仕事ですね。
『ゴールデン洋画劇場』でのはじめての吹替翻訳は、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『ラスト・アクション・ヒーロー』です。当時、テレビで流す洋画の吹替翻訳は、「翻訳じゃなくていい」と言われるんです。「ちょっとくらいニュアンスが違っててもいいから、おもしろいセリフにしなさい」って。いわゆる翻訳調のセリフってあるじゃないですか。結果的に、そういうのをまったく無視したものが出来上がったんです。誤訳も散々あったと思いますが(笑)。作り込むというよりは、感覚で訳した仕上がりです。それがものすごくウケてしまって、代打で呼ばれたのに「この調子でやっちゃいなよ」となり、2カ月に1本のペースが、最終的には2週間に1本を訳すようになりました。『ゴールデン洋画劇場』の仕事は2000年代半ばまで続きました。
本数をこなしてきた1994年に、テレビ局の人が「おもしろい翻訳者いるよ」と映画会社に紹介してくれたんです。そこでビデオの吹替翻訳をやらせてもらってるうちに劇場の吹替版も依頼されるようになりました。1990年代半ば、劇場でも吹替版が少しずつ上映されるようになった頃です。それで、次は字幕も、という感じで現在に至ります。
――ずっとテレビで自由に吹替翻訳をされてきましたが、劇場版はいかがでしたか?
まず、テレビと異なり、映画会社の吹替翻訳はあまり好き勝手にやってはいけないことはわかっていました。そのうえでいちばん勉強になったのは1997年の『メン・イン・ブラック』の劇場版吹替のときで、監督と脚本家の意向を把握したセリフのディレクターがハリウッドから日本にやってきたんです。セリフ一つひとつに「これはどう訳した? これは?」とチェックが入り、英語で説明します。バックトランスレーション(翻訳したものをさらにもとの言語に翻訳すること)のようなものです。
例えば、英語で大酒飲みのことを「drink like a fish」と言いますが、日本語にするときも「fish」を想起させる表現にする。「大酒飲み」ではダメなんです。だから「鯨飲」にする。意味だけを訳すのではなく、セリフが持ってるイメージも英語から日本語に移す表現を探せ。そういう指摘が次々と出てくるんです。つきっきりで徹底的にやられました。強化合宿です。
3日間くらいやり取りをしましたが、吹替の収録に間に合わず、収録スタジオの隣で説明を続けました。それが大変そうだから若い翻訳者に任せよう、と僕に依頼があったんじゃないかと(笑)。でも、辛いことはなくて、おもしろかったですよ。しばらく前までは同様のチェックがありましたが、ここ最近はないですね。
Part.2 映像翻訳という仕事について
■仕事のスケジュール
――1年間で何作品くらいを翻訳されていますか? 2019年は、劇場作品は『バンブルビー』、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』、『スノー・ロワイヤル』、『X-MEN: ダーク・フェニックス』、『メン・イン・ブラック:インターナショナル』、『風をつかまえた少年』、『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』(吹替)、『ジョン・ウィック:パラベラム』、『フッド:ザ・ビギニング』などなど……。
その年によりますけど、劇場作品はひと月に2本のときもありますが、基本的には月1本で、そのあいだにテレビ用のシリーズものがあったり、単発のドラマがあったりです。いまもWOWOWのシリーズものの吹替翻訳をしています。今年は、前半は多かったですが、夏からペースが落ちたので、最終的に例年と同じくらいになるかもしません。
――『メン・イン・ブラック』(吹替)や『デッドプール』(字幕)など、続編のある劇場版を担当されることが多いですよね。
「ジョン・ウィック」シリーズもそうですが、明らかに続編のある終わり方をしている作品の場合は、本国の情報を調べて、「このあたりに依頼がくるかなあ」とスケジュールを調整することもあります。予想通りにいかないことが多いので、難しいんですけどね。
続編だけを翻訳するケースもありますね。「2」だけ。あるとき、知り合いの家に行ったら、なぜか俳優のウィレム・デフォーも来てたんです。「自分は翻訳者で、あなたの出演した『スピード2』や『処刑人II』を訳した」と話したら、「2ばっかりだな」って(笑)。
――1日の作業ペースはどのくらいですか?
字幕は、1日300枚ですね(※)。作品にもよりますが、だいたいそのくらいは進めようと決めています。昔は夜型でしたが、いまは朝型です。頭が回らなくなるので徹夜もしません。
※ 1度に表示される字幕を「1枚」としてカウントする。120分の映画は平均1000~1200枚
――映像翻訳者として20年以上のキャリアがありますが、昔と比べて翻訳時間は変わりましたか?
変わりましたね。制作会社や配給会社のチェックがかなり細かくなりましたし、字幕と吹替の整合も綿密にやるようになったので、以前よりも確認に割く時間が増えました。
あとは、映画が未完成の状態でデータが届いて、次に第2バージョン、第3バージョン……と、そのたびに字幕や吹替をリライトしなくちゃいけないこともあるので、それは相当な時間を取られますね。
それでも、昔はいろんな辞書を揃えてそのたびに頁をめくっていましたが、いまはインターネットがあってとても便利ですね。よく参照するサイトがあるわけでなく基本はネット検索ですが。仕事環境は、ディスプレイが大きいノートパソコンに、座椅子です。ヘッドホンは仕上げのときだけ使っています。
――土日は休みますか?
とくに休日は決めてなくて、仕事次第ですね。旅行の予定などがあれば仕事を入れないようにしています。土日は仕事のメールが少ないので、仕事に集中できるんですよ。あとは、今日は平日だから映画館に行こう、とか。
■いい字幕と意訳の関係
――「いいセリフができた」と思うことは?
それが全然ないんですよ。きっと、そういうことを考え始めたら翻訳者ではなくなってるんでしょうね。もとの映画のおもしろさが10だとすると、10の字幕にするのがベストだと思っています。20にしてはいけない。たしかに、「これ、つまらないので字幕で色をつけてください」と注文されることもあります。
昔、アメリカの方に言われたことが印象に残ってて、吹替の仕事のとき、自己紹介をすると、「君は日本のライターなんだね」と言われたんです。日本の台本を制作するから作家だ、と。そういう意味では、色をつけたり、味気ないものをおもしろくするのも仕事の一部かもしれませんが、注文があったときだけ盛り込むべきでしょう。
――意訳については?
『メン・イン・ブラック』の強化合宿で学んでからは、まずは意訳をしないでなんとか工夫できないか考えます。どうにもならないときや、そのまま訳したら日本人には理解できなくなってしまうときは、意訳します。はじめから意訳を考えないほうがいいと思っています。
字数制限のある字幕は意訳の文化だから意訳がうまいほうがいい、と考えてる方もいらっしゃいますし、それはそれでいいと思います。「君の瞳に乾杯」も意訳ですからね。でも僕にとって意訳は、それしかないときの最後の手段です。
――字幕が思い浮かばないときは?
寝るか、そこだけ翌日に回して、時間を置くようにしています。コーヒーを飲んだり外に出たりする、気分転換らしい気分転換の方法を持ってないんですよ。ダメなところはすぐに切り替えて、訳せるところから訳します。
――それが作業の速さの秘訣かもしれないですね。納期に間に合わなかったことはありますか?
たぶん、業界でいちばん〆切を守ってると思います(笑)。いろいろ考えて納期に間に合う仕事しか引き受けてないから、ということもありますが。どこまで引き受けて、どこで断るか、いつも悩みます。
■女性言葉反対派の先駆者
――最近は、女性のセリフに「~よ」「~わ」などの女性言葉を使わない傾向があります。
僕にとっても、女性言葉をいかに避けるかは常に課題です。完全に使わない時期もありました。実際に日本人の女性は「~よ」とか使わないじゃないですか。そしたら、吹替の演出家の方から、「逆に違和感がある」という意見をいただいて。字幕のほうでも「男性のセリフに読めてしまう」と。最近は、ある程度は女性言葉を混ぜるのが映画の翻訳としては、少なくとも現時点では妥当なんだと思ってます。
――女性言葉を使わない映像翻訳者の先駆けだったんですね。
超能力を持った女性が主人公の海外ドラマ『トゥルー・コーリング』の吹替を担当したときは、日本の若い女性が普段使わない言い回しをほぼ全面的に避けて翻訳しました。「~わ」とかで逃げたほうが楽なんですけどね。自分で自分を大変にしてる。そういう細かいところにこだわるから、おもしろがって仕事を依頼されるのかもしれません。
■字幕と吹替の違い
――字幕と吹替のお仕事の割合は?
いまは、8対2で字幕が多いです。キャリアとしては吹替10割でスタートして、しばらく5対5の時期が続き、7、8年くらい前から逆転して字幕が多くなりました。自分で選んでいるわけではないです。
「ジョン・ウィック」シリーズみたいに両方やらせていただけるとうれしいですね。字幕だけを依頼され、吹替の原稿にすりあわせながら字幕を作ると、どうしても僕の本意ではない表現にせざるを得ないときがあって。お互い様なんでしょうけど。やっぱり両方とも自分の感覚で意図したかたちにもっていけるのが好きです。
――字幕と吹替の両方を依頼され、どっちを先に訳してもいいですよ、と言われたら?
吹替からです。字数制限の厳しい字幕に比べて、セリフの情報量が多いですからね。吹替を削って字幕を作るほうが早いです。
――字幕と吹替、どちらがお好きですか?
楽なのは圧倒的に字幕です。字幕は打ち込む文字数が半分くらいですからね。それと、登場人物10人が同時にしゃべっていたら、字幕はひとりだけのセリフを作ればいいですけど、吹替は10人全員が必要です。うしろでラジオが流れてたら、聴き取れない場合も吹替ではそれも作らなきゃいけない。
――創作されるんですか?
僕が作るときもあります。いちばん楽なのは天気予報にしちゃう。映画の舞台になってる場所の近くの地名を羅列して、○○は晴れ、××は晴れ、△△は晴れ、□□も晴れでしょう、みたいな。
――街中のガヤみたいなのも?
昔は役者さん(声優)にアドリブでやってもらってたんですけど、最近は画面に映ってる人物のくちの動きに合わせて制作をお願いされることもあります。
――キャラクターの特徴付けなど、字幕より吹替のほうが自由にできる幅が広そうですね。
たしかに字幕では、語尾を「~じゃん」にすると字数がオーバーしてしまうとかありますね。吹替だと全然いけるのに。ただ、吹替版の特徴付けは、演出家と役者さんが自分たちの考えで色を出していくのが正しいあり方ではないかと思ってます。アテレコの収録に立ち会うと「語尾を変えてもいいですか?」と許可を求められる機会もありますが、セリフの解釈や意味が変わらないのであれば、僕としてはなんの問題もありません。吹替版の登場人物の性格付けや特徴付けは、翻訳者の手を離れるのが本来の姿だと思います。
――登場人物の性格付けといえば、『デッドプール』では主人公が自分のことを「俺ちゃん」と呼びますね。
『デッドプール』は、吹替は別の翻訳者の方で、字幕の初稿では「俺ちゃん」は一切使ってませんでした。文字数を食いますからね。その後、監修のほうから何度か使ってほしいと要望がありました。字幕のほうが楽だと言いましたが、言葉を選ぶうえでは字幕も吹替も同じように苦労しますね。
■映画の全貌を知らないことも
――そのほかに仕事の苦労とかありますか?
翻訳のための映像データは、海賊版対策のためにモノクロで渡されるケースもあり、その場合、カラーで観られるのは字幕をほとんど修正できない初号試写(※)の段階です。過去に、映像で何かがパーッと光っているけど、モノクロなのでよくわからないことがありました。カラーになって、こういうことか、と。
※ 制作関係者がチェックするための試写会
でも、画面全体を確認できるのはまだいいほうで、登場人物のくちのまわりだけ見えて、ほかは真っ黒という映像データもありました。戦闘シーンで、「Come on! Come on!」って言われても、「行け!」なのか「逃げろ!」なのか「やれ!」なのかわからない。頭を抱えましたね。映像翻訳は、映像に助けられながらセリフの情報を省いたり足したりするので。
■趣味は古い日本映画の鑑賞
――仲良くされている翻訳者はいますか?
『マッドマックス』や『ジョーカー』などを訳したアンゼたかしさんは歳が同じなので、仲が良いですね。『スタンド・バイ・ミー』や『セブン』の菊池浩司さんには飲みに連れて行っていただいたり、『バーレスク』やリブート版『ゴーストバスターズ』の栗原とみ子さんのご自宅に遊びに行ったこともあります。
――仕事以外で映画は観ますか?
ほかの方の字幕を見ると、自分だったらどうするか、いまのは何文字だったんだろうとか、余計なことを考え始めてしまい、楽しめないんです。だから、原節子さんが出てるような過去の日本映画ばかり観てます。神保町シアターやラピュタ阿佐ヶ谷、国立映画アーカイブなど、DVDにもなってない古い日本映画を観られるところが都内にはいくつかあって、いくらでも観られるんですよ。
■翻訳がうまくなるには?
――翻訳の仕事に役立っている経験はありますか?
古い日本映画も好きですが、古い本を読むのも好きですね。『源氏物語』や『東海道中膝栗毛』とか、江戸文学や明治時代のはじめの頃の小説なんかも。翻訳の仕事の役に立っているかどうかはわかりませんが、ほかの翻訳者と違うところがあるとすればそこでしょうか。
――いつ頃からお好きなんですか?
小学生の頃からです。岩波書店から出てる『南総里見八犬伝』の原典版を親に買ってもらい、読み始めたのですが、全然わからない。でもなんとなくわかる箇所もあって、よく読んでました。最後まで読めるようになったのは高校生のときです。
――映像翻訳者を目指している方々にメッセージをお願いします。
そうだなあ……。翻訳者を目指している人には、外国語よりも日本語の能力が大事だと思います。日本語をどれだけ使いこなせるか。それで将来が決まる。外国語は調べたらなんとかなりますが、日本語は引き出しがないと限界が来ちゃうんです。勉強するとしたら日本語ですね。
そういえば、アンゼたかしさんは落語が好きですね。僕も好きで寄席に行ってます。落語には自分が普段使わない日本語がぽんぽん出てくるんです。そういう言葉に触れると自分の語彙が増えてくるのではないでしょうか。
Part.3 「ジョン・ウィック」シリーズの字幕・吹替を語る
隠遁生活を送っていた伝説の殺し屋ジョン・ウィックが、愛犬と愛車を奪われたことに怒り、復讐のためにマフィアと死闘を繰り広げる映画「ジョン・ウィック」シリーズ。『ジョン・ウィック』、『ジョン・ウィック:チャプター2』に続く、シリーズ最新作『ジョン・ウィック:パラベラム』が2019年10月4日に公開された。
※ 以下、しばらくネタバレはありません。安心してお読みください。
■字幕制作の流れ
――松崎さんは「ジョン・ウィック」シリーズ3作品すべての字幕と吹替の翻訳を手がけました。ここからは、同シリーズの字幕制作を担当した、ポニーキャニオンエンタープライズのKさんにもご参加いただき、主に『ジョン・ウィック:パラベラム』の字幕翻訳についてお聞きしたいと思います。
字幕制作担当K:よろしくお願いします。
――『ジョン・ウィック:パラベラム』は翻訳の依頼から劇場上映まで、どのようなスケジュールでしたか?
字幕制作担当K:私が翻訳を依頼してから松崎さんから翻訳の初稿が届くまで、2週間ほどでした。これは過去2作品も同じです。
――松崎さんから届いた初稿をKさんがチェックして、相談しながら修正を加えていくかたちですか?
そうですね。全体の流れとしては、まず僕が映像を見ながら、スクリプトにあるセリフのどこからどこまでを1枚の字幕に収めるか決める「ハコ切り」を行い、それをもとにKさんが編集ソフトで映像にIN点とOUT点を打ち込みます。1枚の字幕が出るタイミングと消えるタイミングですね。
翻訳が終わると、Kさんのほうで映像に字幕を載せます。これを「仮ミックス」と呼びます。仮ミックスのデータを送ってもらい、確認して適宜修正を加えます。その後は「シミュレーション」といって、字幕の位置などを調整した、より本番に近いかたちのデータで確認します。それが終わると制作関係者による初号試写です。
字幕制作担当K:いざ翻訳するとハコ割りに変更が生じて、スポッティングも変更する必要があります。でも松崎さんは、翻訳の初稿をあげていただいたあとのハコ割りの修正がすごく少ないんです。ハコを切る段階で翻訳もある程度は考えてるんですか?
考えている箇所もありますが、ハコ切りはリズムよくいきたいので、「おっ」と止まってしまうのは避けたくて、ハコ切りだけに集中します。といっても、どこで切るか悩むところがけっこうあります。ブレス(息継ぎ)のない長いセリフを切るときは、翻訳したらどういう言葉になるか、立ち止まって考えますね。短めの3枚にしたほうが読みやすいか、それとも2枚にしていいか……。
というわけで、ハコ切り作業はどうしても映画と同じ尺では終わりません。ハコ切りだけでスケジュールの1日は押さえています。「ジョン・ウィック」はセリフが少なく、『パラベラム』の最終的な字幕は700枚弱でしたね。セリフの多い映画だと1800枚とかになるので、ハコ切りに2日はかかります。
■「ジョン・ウィック」オリジナルの用語
字幕制作担当K:ハコ切りのとき、翻訳を“考え”はしないけど、“思い浮かぶ”ことはありますか?
今回の「deconsecrated:聖域指定解除」は、最初の試写で本国版を見たときにポンッと出ましたね。ああいうのがなかなか考えつかないときもあって。『ジョン・ウィック:チャプター2』で登場した「the High Table」は、はじめは「主席」だけだったんですけど、Kさんから「連合」もつけてみては、とご意見をいただいて「主席連合」になりました。あれは相当考えましたね。いっそのことカタカナで「ハイテーブル」にしようかと思いましたが、漢字を使って古風で硬いイメージにしました。
字幕制作担当K:『チャプター2』で一気に世界観が広がり、独特の用語が多くなったんですよね。
「ハイテーブル」にしていたら、「Marker」も「誓印」ではなく、「マーカー」にしていたと思います。印象はかなり違っていたでしょうね。
字幕制作担当K:「誓印」は松崎さんの造語なんですよ。初稿を読んだとき、かっこいいー!としびれました。「マーカー」とルビを振るか考えましたが、あえて振らないでおきましょうとお話ししましたね。
でも、造語なので吹替版を耳で聞いたときにわかりづらいんですよ。だから最初に出てきたときに「これは誓印、誓いの印だぞ」と説明を加えました。字幕は文字を見るからわかりやすいですが。今回は、字幕と吹替の両方をやらせていただく前提でしたので、吹替でも通用するように字幕翻訳もかなり悩みました。考え抜いておかないとあとで自分が困ることになるので(笑)。
字幕制作担当K:そのほかに苦労したワードはありますか?
これも『チャプター2』ではじめて登場したものですが、ローレンス・フィッシュバーン演じる地下組織の元締めを指す「King:キング」です。漢字の世界観があったのですべて「王」や別の漢字でいこうか悩みましたが、メインは「キング」にしました。でも、「キング」もくせ者で、いざというときにほかの言葉を当てづらいんですよ。続編でどうなるのか不安でしたが、『パラベラム』も「キング」のまま通用したのでよかったです。
――シリーズ第1作の『ジョン・ウィック』で、ロシアン・マフィアのボスが部下にジョン・ウィックの自宅を襲撃させますが、その直前のシーンで仲間に「Task your crew:部下を集めろ」と命令します。すると、「How many?:人数は?」と聞かれ、「How many do you have?」と返しますが、その字幕は「1人残らずだ」でした。ああいうのはそのシーンを観た段階で感覚的に思い浮かぶのですか? そのくらい自然な字幕でした。
質問に対してわかりきった答えのときに疑問形で返す、いわゆる修辞疑問ですね。あそこはいくつか候補を考えました。本当は疑問形のままの日本語にしたかったのですが、それだと理解しづらくなるので、英語と同じニュアンスの字幕にしました。
――それはテクニックになるんですか?
どうですかね。最近担当した作品でも同じようなセリフがありました。質問に対して、「ローマ教皇はカトリックか?」と返すんです。わかりきってることだから聞くな、と。そのときは、「そんなの当たり前だろ」とか「そんなの聞くな バカ」みたいのも考えたのですが、視聴者も理解できると判断し、そのまま「教皇はカトリックか?」にしました。視聴者が理解できるかどうかが判断基準ですね。
英語をそのまま訳さず、ちょっとでも意訳するときは、すぐに決定するのではなく、立ち止まって半日とか1日とかしばらく時間を空け、シーンを流して見直し、ちゃんとわかるかな、と確認するようにしています。
――これから『ジョン・ウィック:パラベラム』を観られる方に、注目してほしいセリフは?
最後のセリフですね。ネタバレになってしまうので詳しい内容は話せませんが……。
※ ここから『ジョン・ウィック:パラベラム』のネタバレが含まれています。
■続編ありきの翻訳
――では、ここからはネタバレありで。続編がありそうな作品は、それを意識して翻訳されているんですね。
どうしてもそうなっちゃいますね。『パラベラム』ですと、序盤でジョン・ウィックが劇場を訪れ、舞台監督の女性に助けを求めるシーンがあります。そこでジョン・ウィックのロシア語でのセリフが、「I am a child of the Belarus.」と英語になって映像に表示されます。この「Belarus」は、国のベラルーシとしても読めますし、「あのベラルーシ」というふうに人名かもしれないし、組織の名称かもしれません。次作で詳細が明かされる可能性もあるため、うかつに「ベラルーシ人の子孫」とか訳せないんです。そこで、原語に忠実に「ベラルーシの子だ」としました。
字幕制作担当K:どっちの意味なんだろう、ってセリフがあるんですよね。
そうなんですよ。映画の最後のほうで、ジョン・ウィックがコンチネンタル・ホテルの支配人ウィンストンに銃で撃たれて、ホテルの屋上から落ちていきます。その直後、コンチネンタルのコンシェルジュのシャロンが、ウィンストンに向かって「well played, sir」と言うんです。「うまいことやって自分だけ助かりましたね」という意味にもなれば、「ジョン・ウィックを助けるためにわざとやりましたね」という意味にも読めます。そこで、「見事でした」にしました。
字幕制作担当K:どちらにも読める訳ですね。
ウィンストンはジョン・ウィックを裏切ったのか、助けたのか。シャロンの顔を見ると、この野郎、裏切りやがってという皮肉っぽい表情をしているような気もしますが……、どちらかわからないですね。続編が楽しみです。
字幕制作担当K:「I have served, I will be of service」もどう訳されるのか気になってました。
主席連合への誓いとして、いろんな人物が使うセリフですね。暗殺者のゼロ、舞台監督の女性、ウィンストン、そしてジョン・ウィックも言います。同じ言葉なのに、話者もセリフの尺も異なる。でも、基本は同じ訳にしなければいけない。ジョン・ウィックだけ「俺は仕えてきた これからも仕える」にして、ほかは「私は仕えてきた これからも仕えます」と少し敬語っぽくしました。
字幕制作担当K:これもこの映画シリーズならではの独特の用語ですが、主席の上にいる「the Elder」は「首長」と訳されましたね。
「elder」ということで年老いた人物かと思ったら、割と若い男性が登場するので、観客をちょっと驚かせる意図がある気がしました。かといって「長老」にすると老いのイメージが強くなりすぎる。主席連合の上にいるということで、「しゅせき」の「しゅ」を取り、「長」をつけて「しゅ長」にして、「首長」としました。砂漠のイメージにも合ってるかと。続編でネクタイなんか締めてたら困りますけど(笑)。
■「yeah」をいかに訳すか
――最後のセリフが印象的でした。
ラストシーンでのジョン・ウィックのセリフは、本作でいちばん悩みましたね。
字幕制作担当K:「yeah」ですね。最終的に「俺もだ」になりました。
主席連合に殺されかけたバワリー・キングが、自分は怒っている、君はどうだ? とジョン・ウィックに聞くんですよね。その返事が「yeah」です。観客も聴き取れる言葉なので、字幕を作らない、いわゆる「アウト」も考えたんですよ。でも、最後のセリフがアウトでは、映画が締まらない。
字幕制作担当K:最初は次のような字幕にしてました。
バワリー・キング:
私は本当に腹が立っている
君もか?
どうだ?
ジョン・ウィック:
そうだ
シミュレーションのときに、「そうだ」も締まらないと思ったんです。それで、ジョン・ウィックのほうを「俺もだ」にしたのですが、それが自然なセリフに聞こえるように、バワリー・キングのセリフの順番を入れ替えました。
バワリー・キング:
私は本当に腹が立っている
どうだ ジョン
君もか?
ジョン・ウィック:
俺もだ
字幕制作担当K:ちょっと手を入れるだけでこんなに劇的に変わるんだ、ってすごく印象に残ってます。
「ジョン・ウィック」シリーズは、セリフが少ない分、かっこいいセリフが多いですよね。それが字幕でも伝わればいいな……と思っています。登場するキャラクターもみんないいですよね。ラストシーンからどんな展開に続くのか、僕も次作を楽しみにしています。
【作品情報】
映画:
『ジョン・ウィック:パラベラム』(
http://johnwick.jp)
公開時期:劇場公開中
配給:ポニーキャニオン
原題:JOHN WICK:CHAPTER3 PARABELLUM(2019/アメリカ)
監督:チャド・スタエルスキ
出演:キアヌ・リーブス/ハル・ベリー/イアン・マクシェーン/ローレンス・フィッシュバーン/アンジェリカ・ヒューストン
®, TM &
© 2019 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.